かおるんが考えたこと

切ない気持ちのゴミ捨て場

文章を推敲することの楽しさ・大切さについて

久しぶりに自分のブログを開いてみたら約90日間も放置していたことが判明し、一発目の記事の威勢の良さが恥ずかしくなりました。ブログを執筆していない間は、本業が忙しかったこともあり1ミリも記事を書きたい欲求が湧いてこなかったのですが、ふとしたきっかけでまた自分で文章を書いてみたくなり筆を執った次第です。今回は、そのきっかけについて書き残しておこうと思います。

 

何故、三日坊主な私がまたブログを書き始めようかと思ったのかと言えば、文章を書くこと自体の面白さに気付いたからです。正確に言えば、「文章を書いて、それを推敲する楽しさに目覚めたから」です。

 

それに気付いたきっかけは、先日実家に帰ったときに母親と交わした他愛のない会話でした。私の母親は50代になったばかりの一般的な専業主婦です。趣味は韓国ドラマの鑑賞というこれまたベタな人なのですが、元々文章の読解能力やコミュニケーション能力に非常に長けているという特徴を持っており、全くの未経験から韓国語の勉強を始めて2年程度で韓国の映像作品の字幕をチェックするという仕事に就きました。

 

家でだらだらお酒を飲みながら何気なく母親にこんなことを聞いてみました。

 

(かおるん)「どうすれば文章が上手くなるのかわからないんだよね。やっぱりお母さんて今でもたくさん本とか読んだりしてるの?」

 

(母親)「やっぱりいまの基礎を作ってるのは、学生時代に図書館で朝から晩までずっと本を読んでその感想を書いていたことの経験が活きてるね。でも今はそんなに読んでないよ。続けてることと言えば、日記を書くことかな。」

 

(か)「日記かー。要するに何かを体験したらアウトプットが大切っていうこと?」

 

(母)「そうだねー。私は文章をあーでもないこうでもないって何度も書き直すのが好きなんだよね。Facebookに簡単な投稿をするときにもすごく書き直すもん。」

 

(か)「へー、そんなふうにやってたのか。でも、たしかに自分も似てるかも。」

 ふむ、なるほど。と思い、それから自分の文章を仕事のチャットなどで投稿する前に念入りにチェックするようにしてみました。すると、内容の粗さや改善点が自然と見えてきて修正を何回か行ってみると、とてもロジカルでわかりやすい文章になっていると気付きました。と同時にその作業がとても楽しいなと感じました。推敲して納得出来たものを送ってみると、仕事相手からの反応もいつもより好印象になり、より文章を見直すことは良いことなのだと知りました。

 

思い返せば私が大学生の頃、色々なメディアや書籍で人気者だった教授も「私はどんなに短い文章でも私は何度も書き直すし、時間をかけて読み直す」と言っていたことを思い出しました。彼の文章や講演に感動して学部に入学する生徒が後を絶たなかったので、推敲するというプロセスはよい文章を書くためには必要不可欠な行為なのでしょう。

 

文章を書かなければいけないという義務感からではなく、「楽しいから書く」という感情に立ち戻ることが出来たので、またブログ執筆活動を再開してみようと思いました。

 

この記事をご覧のみなさま、引き続きかおるんを何卒よろしくお願いいたします。