因果応報
Amazonプライムで梁石日原作、雀洋一監督の『血と骨』を観た。
1930年代の大阪を舞台に朝鮮・済州島から渡ってきた金俊平の激動の半生を描く。
こと細かな映画評は、Amazonのレビュー欄に任せておくとして、私がこの映画を観てはじめに持った感想は、人間の人生は因果応報だな、というものだった。
主人公の金俊平は、並外れた暴力性と色欲を持った男で、周囲の人間を常に不幸にしていた。しかし、金の悪行が老いによって失速してくると、彼に恨みを持つ周囲の者は家族でさえも冷たい態度を取るようになる。もちろん、彼の行いは許されるものではないし、復習されて当然、むしろ映画の構成としては最高にスカッとする場面だ。だが、あれだけ優しい顔をしていた母が金に対して放った一言「いっぺん死ね」。というセリフに始まり、その他の人間も彼に機会あらば躊躇がない暴力を加えるようになる。自業自得と言われればそれまでだが、人間が他者に与えられた恨みや行動の結果というものは、結局は自分がした行いに比例して返ってくるのだなと思った。
映画を観ながら自然と自分のこれまでの人生を振り返りつつ、2時間半という長さを感じさせない映画だった。
書くことについて
近頃は仕事が忙しく、夕食を食べたら即布団で寝てしまう生活サイクルだったが、明日は土曜日ということで今日は少しだけ夜更かしをして筆を取ろうと思う。
今回は、書くことについて。
ちょうどスティーブンキングの『書くことについて』という本を読んで、物書きが文章をあえて書く意味を自分なりに考えてみたい。
とにかく読みまくって書きまくれ
スティーブンキングは、約300ページあるこの本のなかで、物書きがスキルアップする方法として、以下を挙げていた。
・たくさん読み、たくさん書くこと。
当たり前じゃないかと思われるかもしれない。しかし、文章力がアップする秘密の奥義を少しでも信じていた自分にとって、このひとつのメッセージは大きな意味があった。悪魔を撃ちぬくための「銀の弾丸」などというものは存在せず、ひたすら大量に食べ、大量に出すというシンプルな方法のみにより、物書きはレベルアップすることを師匠から学べたからだ。
次の日から、私は読書を意識的にするようになった。今までは斜め読みが当たり前だった読書が一文一文大切に読み込むようになった。確かに栄養を食べている気がする。食べたあとは、自然と冷静に物事をロジカルに考えられるようになり、集中しやすくなった。
創作するときは自分の世界に没頭しろ
本書を読んで自分にとって大きな自信となったことがもう一つ。それは、
・スティーブンキングは執筆するとき、音楽を爆音でかけているということ。
長年、音楽は文章を書いたり勉強をする上で邪魔な存在だと思っていた。しかし、彼曰く気分を無理やり乗せるためというよりは、音楽をかけることで自分一人の世界に没入するためだ。文章を書くときには、必ず扉を閉め、孤独な状態で書かなければならない。文章を書き終えたら、扉を開け、それは誰かの手に渡り自分のものではなくなる。
音楽は他者と同じ空間にいたとしても、自分だけの世界に没入することが出来る。執筆は、デザインやプログラミング同様、非常にクリエイティブな行為というのが私の考えだ。創作は、孤独の中からしか生まれない。
全てを言語化しろ
物書きは、どんなことでも言語化出来るようにならなければならない。例えそれが、言葉で言い表せないような感動的な出来事であったとしてもだ。言語化出来ないことは、思考していないのと同じと考えるようにしたほうがいい。言語化することが嫌いな人は、映像の仕事をしたほうがいい。
上記を信条とするならば、私は現在のところ全く自分の人生を言語化出来ていない。これから自分の思考はちゃんと自分の言葉で説明出来るようになりたいと思う。
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2017年4月30日(日)追記。
この「書くことについて」というテーマは、自分にとって深いテーマなので、広報の勉強も含めてこの書くことの意味について追求していくためのブログにしていくことを決め、タイトルにしました。